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故・山本KID徳郁選手によせて
2018年9月18日、山本KID徳郁選手(享年41歳)急逝されたとの一報が入りました。
がんとの闘病が発表されていましたが、彼の強い肉体と精神力で病魔に打ち勝ち、必ず笑顔で戻ってきてくれると信じておりましたが、あまりにも早すぎる彼の死を受け止められずにいます。
彼と最後に会ったのは去年の舞浜アンフィシアター大会の時でしたが、今思えば既に病魔に冒されていたにも関わらず笑顔で話しかけてくれました。
2000年の全日本アマチュア修斗選手権優勝、そして2001年のプロデビューから2003年まで修斗に参戦し、その類い稀なるファイトスタイル、人々を惹きつけるカリスマ性で日本を代表するスター選手へと一気に駆け上がりました。
また、選手として活躍する傍ら、後進の育成にも尽力し、主宰ジムでの大会の開催や、その人柄から彼の下には多くの選手が集まり技術交流を行い日本MMA界の底上げに努力を惜しみませんでした。どれだけ多くの選手が彼を慕い、目標にして来たことかと思います。彼の活躍や、表に出ない活動でどれほどの多くの若者に影響を与えたことでしょう。
これからも山本KID徳郁の魂は生き続け、私達は決して彼のことを忘れません。
山本KID徳郁選手、ありがとう。
どうぞ、安らかにお眠り下さい。
株式会社サステイン
代表 坂本一弘
がんとの闘病が発表されていましたが、彼の強い肉体と精神力で病魔に打ち勝ち、必ず笑顔で戻ってきてくれると信じておりましたが、あまりにも早すぎる彼の死を受け止められずにいます。
彼と最後に会ったのは去年の舞浜アンフィシアター大会の時でしたが、今思えば既に病魔に冒されていたにも関わらず笑顔で話しかけてくれました。
2000年の全日本アマチュア修斗選手権優勝、そして2001年のプロデビューから2003年まで修斗に参戦し、その類い稀なるファイトスタイル、人々を惹きつけるカリスマ性で日本を代表するスター選手へと一気に駆け上がりました。
また、選手として活躍する傍ら、後進の育成にも尽力し、主宰ジムでの大会の開催や、その人柄から彼の下には多くの選手が集まり技術交流を行い日本MMA界の底上げに努力を惜しみませんでした。どれだけ多くの選手が彼を慕い、目標にして来たことかと思います。彼の活躍や、表に出ない活動でどれほどの多くの若者に影響を与えたことでしょう。
これからも山本KID徳郁の魂は生き続け、私達は決して彼のことを忘れません。
山本KID徳郁選手、ありがとう。
どうぞ、安らかにお眠り下さい。
株式会社サステイン
代表 坂本一弘